中道ヨーガの世界

心身の健康を求め、 中道(ニュートラル)を模索する、 ヨーガを主幹とした情報共有ブログ

瞑想と瞑想状態

 
昨今の禅ブーム、マインドフルネスブーム。
 
ヨーギーではなくても、瞑想をされてる方は沢山いるのではないでしょうか。
 
これらのメソッドが流行するには、やはり理由があります。
 
もちろんハリウッド・セレブなどの世界に影響力のある方たちが情報を発信しているのもありますが、やはり時代背景が大きのではないでしょうか。
 
「衣食足りて礼節を知る」ではないですが、
食べることに困ることなく、ものを入手、所有することが簡単になった今日。
 
それでも満たされない心、豊かとはいえない心。
 
人は本当の幸せ、満ち足りた豊かな心を求め、
これらのメソッド、瞑想に答えを求めているのではないでしょうか。
 
 
では瞑想とは何でしょうか。
 
一般的な瞑想とは、姿勢を正して坐し、目を閉じ、
呼吸を整えて、何かに心を集中させること。
 
「瞑想」と「瞑想状態」の違いとは。
 
瞑想は「行為」であって、瞑想状態は「没入」した状態と私自身は考えている。
そしてその「行為」は多様にあり、言及するのが非常に難しい。
また瞑想状態は求めるものではなく、訪れるものと認識している。
もし瞑想状態に没入した経験の是非を問われたのならば、正直答えるのが難しい。
なぜならば瞑想状態とは、途切れのない集中の延長にあり、無心の状態を意味する。
仮に私が瞑想状態を説明できたのならば、それは瞑想状態でも無心でもないと言える。
 
私の瞑想方法は、やはりヨーガである。
 
普段の生活では、常にヤマ (禁戒) 、ニヤマ (勧戒) 、プラーナヤーマ (調気法) 、 プラティヤーハーラ(制感)を実践し、
マット上では、アーサナ (坐法)、プラーナヤーマ (調気法) 、 プラティヤーハーラ(制感)を同時に行うこの行為こそが、私の瞑想法である。
 
静の瞑想というよりは、動の瞑想と言えるかもしれない。
 
 
中国古典の中に素晴らしい言葉がある。
 

静中の静は真静に非ず

動処に静して得来たりて、わずかにこれ性天の心境なり

 

 人は静かな場所では心を穏やかに保ちやすい。

しかし喧騒の中ではどうであろう。

おそらくほとんどの人が心に波が立つのではなかろうか。

だからこそ人は非日常的な場所ではなく、日常の中で心を穏やかに保つ術を身に着けなければならない。

 

 

 

人は流水に鑑みるなくして、止水に鑑みる (明鏡止水)

 

湖面に風波が立っていたのなら、何も見ることはできない。

しかし、どうであろう、

風が止めば、湖面はまるで鏡のようにあなた自身を映し出してくれる。

これは心にも当てはまる。

一度深呼吸をしてみよう。

心に立っていた感情という風が止めば、真実が見えてくる。

 

 

最後に

 

瞑想という「行為」は、多様にある。

自分自身に合った方法を、ただ継続するしかない。

また「瞑想状態」に到れるのかは、誰にもわからない。

ただ一つ言えることは、今よりも心豊かな生活が開けるということだけ。

 

では

笑顔と深い呼吸を忘れずに

良い一日を

Yasu

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